淡路島の力石探訪

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 皆さんは「力石(ちからいし)」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?それは、古くは江戸時代、娯楽やスポーツなどがなかった時代から明治〜大正ごろまで(地域によっては昭和のはじめごろ)行われてきたもので、力試しのために用いられた大きな石のことです。詳しくは「力石とは」で紹介することとして、ここでは当サイトの簡単な説明をしたいと思います。当サイトは、そのタイトルが示すとおり、「淡路島の各地に点在する、かつて力試しに用いられたという力石を探し、訪ね歩く」というものです。淡路島は小さい島でありながら、神社仏閣などが非常に多く残されています。そして、これら人々が集まるところであった場所では、力試しが盛んにおこなわれていたようです。そのため、現在も力石が残っているのは神社仏閣などのほか、集会所、庵、堂などというケースが非常に多いです。考えてみると、これら力石は非常に古くから多くの人に親しまれてきたものであり、祭りなどの出し物・余興の一つとして多くの人々に愛され、なくてはならぬものであったはずです。それが、時がたつにつれ段々と忘れられてゆき、力石の所在すらわからなくなっている、というのはなんともさびしいことではないでしょうか。
 かつては機械などはなく、ほぼすべての労働は人間の力によっておこなわれていました。そういう状況にあっては、男も女も皆、力が非常に強く、また生活上、どうしても必須欠くべからざるものでした。そのために、村の若者達はヒマを見つけては力を強くするのに必死であったようです。また、これら力比べも余興として、さらに強さのシンボル、男のステータスとして、多くの人々の尊敬の念を集めるための手段の一つでもあったのは想像に難くありません。さらに、第二次世界大戦終戦前まで、地主と小作農に別れていた時代では、地主の家で耕作に従事する作男となるために、力をつける稽古として力石をもっていたともいわれています。これは、住み込みで働く作男となるためには、人並みはずれた力の持ち主であり、骨身を惜しまず働く人間である、ということが条件であったからでしょう。
 このように、先人の生活・風土に深く根ざし、またものによっては数百年も地域の人々の生活にかかわり続けてきた歴史ある力石を、そのまま風化させるのはもったいないと思い、写真を撮影してきました。今回、これらの一部をウェブサイト上にて公表し、それら「力石」にスポットをあててみたいと思います。もちろん、探せばまだまだ淡路島には力石があるでしょうし、事実、力石があるよ、という情報を頂いており、今後訪れる予定の神社・仏閣などもあります。これらは随時写真撮影をし、更新してこのサイトを充実してゆきたいと思います。もし、このウェブサイトを通じて、身近なところにある力石を再発見していただけると幸いです。また、このウェブがきっかけで、力石の保存に協力して頂ける神社仏閣・ならびに集会所、人々などが増えることを切に願っています。

更新記録
  • 4/11 洲本市五色町の力石を訪ね歩いてきました。洲本市の力石が増えているのでご覧下さい。
  • 3/22 淡路市貴船神社の力石、淡路市開鏡観音寺の力石をアップしました。
  • 3/16 イザナギの力石のページを更新。先日もう一度確認にいくと、「一宮力石」との文字が判読!
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