淡路島の力石探訪

淡路島の力石探訪 力石とは

力石とは

 力石とは、トップページでも紹介したように、娯楽やスポーツなどがなかった時代に、若者達の娯楽の一つとして、また余興や祭りなどの出し物の一つとして行われた「力試し」のために用いられた「石」のことである。また、当時は機械などない時代であるから、どうしても各種労働は人力による部分が多く、そのため「力があるかどうか?」というのはそのまま生活に直結する重大事だった。自然、「誰が一番力持ちなのか?」ということに人々の関心が集まっていったのだろう。

淡路島の力石

 力石は、一般的に楕円形〜円形をしており、表面はなめらかでツルツルとしている。また、重たい石になると、その重量や持ち上げることができた人の名前などを力石の表面に切りつける。ほかの地域では、この切りつけのある力石が多いようだが、淡路島では切りつけがないものも多い。通常は練習石、稽古石とよばれたもので、海岸や海から拾ってきたような自然のままの石が多い。また、淡路島では漁業、農業が一般的で、商人の類は少なく、そのためにどうしても力持ちが多かったようだ。若者達はヒマをみつけては力石を持ち上げる練習をし、自らの鍛錬をしたという。地主が作男を雇う基準も、「力があるかどうか?」という部分であったというから当時は「力持ち」であるということはステータスであったことは想像に難くない。中には、自分専用の力石などをもっていた者もいたという。休みの日にはそれらの力石をもってゆき、近郷のものと力試しや練習をしていたというから、生活にかなり密着していたものと思われる。なお、他人の力石と間違うことを防ぐために、名前の切りつけをおこなったり、墨などで目印をつけておくのだという。もちろん、例祭などで行われる公式な力くらべ大会も盛んであった。また、淡路島の力石の特徴として、北にいけばいくほど丸くなってゆき、球状に近い形となる。一方、南へといけば細長くなってくる。(下の写真参照)また、旧三原郡では力石も加工されたものが多く、旧津名郡になると自然のままの石が多くなるようだ。

開鏡観音寺の力石は丸みを帯びており、南あわじ市青木厳島神社の力石は四角丸である。北部の方が球状になる傾向がある。

力石の形状・重さ

 力石は、神社、公会堂、庵、仏閣、堂など、人々が集まるところには三個〜置かれており、重い石から「一番石(または「口きり」ともいう)」「二番石」「三番石」という呼ばれ方をしていた。(下の写真参照)重さの単位は「貫」(「かん」=3.75キログラム)であらわされるものが多く、二十貫、二十四貫、三十二貫のものが一般的であったようだ。とくに、四十貫以上ともなればもちあげることができる人は少なく、そのために持ち上げることができた人の名前などを表面に切りつけたりもしたようだ(たとえば、都志万歳薬師堂の力石などがそうである。四十四〆という重量の力石をもちあげる人は少なく、持ち人三名の連記がある珍しい力石が残っている)。なお、前述したように淡路島の力石は切りつけをしていないものも多い。これは、淡路島の力石のほとんどが、練習用、稽古用の力石であるから、というのは先ほど紹介したとおりである。淡路島ではそれほど「力があるかどうか?」という部分が生活にそのまま密着していたということなのであろう。

貴船神社の一番、二番、三番力石と、二十六〆の切りつけがある多賀浜の宮の力石。
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